今回のコラムは、「コミュニティの実態を考える」[註-1]で提起した「わたしたちのコミュニティの生態系図」の中に位置づけた制度化領域の身近なまちづくり推進協議会の改革についての提案である。以前のコラムではこの部分に無作為抽出によって協議主義的市民の参加を提案した。この提案は今も有効だと考えているが、現実的にはこうした制度の変更には時間がかかると思われる。そこで最近になって考えたのが制度化領域とイノベーション領域の活動団体との接続の可能性である。
歴史的に見ると、「身近なまちづくり推進協議会」は世田谷区の協働推進政策として1995年に分権化を目指して5つの地域にそれぞれ設置された。それに先立つ1983年に「身近なまちづくり推進員制度」が発足している。その後1992年に地区カルテづくりのため設置された「地区会議」を統合し、現在の協議会制度が1995年に発足したとされている。一方で世田谷区の参加のまちづくりの拠点となった世田谷まちづくりセンターは1992年に設立されている。地縁型のコミュニティ政策と同時に市民活動型の参加のまちづくり政策が同時に追求されていたことになる。「身近なまちづくり推進協議会」が、その後全国の自治体で取り組まれることになる都市内分権制度としての地区協議会の先駆的な事例として位置づけることが妥当であるかどうか、先駆的すぎて議論があるところであろう。
その後世田谷区では、2003年~2011年まで熊谷区長の区政が継続し、それまで全国でもトップを走っていた参加のまちづくり政策が停滞することになる。保坂区長の時代に入り、2014年に「地域の絆ネットワーク支援補助金」が創設される。市民活動型と地縁型のまちづくりの橋渡し政策である。それ以降少しずつ名前を変えながら、現在は「地域の絆連携活性化補助金」助成制度として存続してる。ここに世田谷まちづくりファンドが育んだ市民活動と旧来の地縁コミュニティの連携をはかってきた世田谷区のコミュニティ政策の特色が現れている。
現在では分権された5つの地域それぞれに、1992年当時の世田谷まちづくりセンターとは異なる位置づけの「まちづくりセンター」が設置され、現状では形骸化していると言わざるを得ない「身近なまちづくり推進協議会」の立て直しが都市内分権制度の再構築として課題の一つに上っていると聞く。
この問題については以前のコラム「コミュニティの実態を考える」で書いたように、制度化領域である「身近なまちづくり推進員」の選出方法の改善を提案したところである。そこでは、身近なまちづくり推進協議員に協議主義的市民を無作為抽出で選出するアイデアを提案したが、今回のコラムでは世田谷区のコミュニティ政策の特徴を考慮して、いわゆるイノベーション領域にある「地域の絆連携活性化補助金」助成団体を「身近なまちづくり推進協議会」に接続することを提案してみたい。

これまで、「身近なまちづくり推進協議会」と「地域の絆連携活性化補助金」は、同じ担当部署でありながらあまり関連を持って語られてこなかった。それぞれに参加する市民は、全く異なるレイヤに存在する市民として別々に扱われてきたのである。しかしよく考えてみるとこの二つの制度はほとんど同じことを目的として創設された制度のように思える。「身近なまちづくり推進協議会」を問題解決型の組織に改革する要請が行政の側にあるとすれば、地域のイノベーション領域を担う「地域の絆連携活性化補助金」助成団体の活動者と「身近なまちづくり推進協議会」を接続することは意味のあることと思われるのである。
二つの制度を接続する具体的な方法としては、具体的に3つの方法が考えられる。
① 身近なまちづくり推進委員に地域の絆連携活性化補助金団体の関係者を採用する。
② 身近なまちづくり推進協議会が補助金団体の活動の報告交流会を開催する。
③ 身近なまちづくり推進協議会のネットワークを通して助成申請団体の人材を発掘する。
個人的にではあるが、身近なまちづくり推進委員としてこのアイデアをまちづくりセンターの担当者に現在提案している。今後どのように共感の輪がまちづくりセンター内で広がるか、実際に制度化領域の改革に声が届くかどうか見守っていきたい。
[註-1]大久手計画工房コラム:『コミュニティの実態を考える』(2025.3.23)
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